「私はできるかもしれない」
ブリッジ(橋)をかける。
その意味で
2008年に株式会社ジェイブリッジ
を創業いたしました。
「人と共に生きる会社」
それは未来の城東衛生、ジェイ・ポートで
「私の代ではこんな会社にする」
という映画の予告編みたいなものでした。
若者を集めてスタート
楽しい会社になりましたが
あまりの自由さで無法地帯でした
丸投げでもちろん業績は大赤字。
若い従業員は自由をはき違えていましたし
私の理想はあくまでも理想でした
現実は厳しかった・・
ここでの反省は
社員がある一定のレベルに達しない場合は
教育、管理が必要だと感じました。
その頃、父は2日に一回腎臓透析を始めだしました。
そして42歳で有限会社城東衛生の社長交代をおこないました。
食事会を開き全従業員の前で私はメッセージ
「みんなの会社にします」
と宣言しました。
すると
最後に父がマイクをとり
「まぁ何にも変わらないのでよろしくお願いしますわ」
「・・・」
私の社長になった目標はアドラー心理学を使う経営。
アドラーの基本は「勇気づけ」です。
父は凄い人だったのですが
ある意味「勇気くじき」の天才でした。
多分
バカ息子が理想ばかりのことを言って
従業員が離れる
また従業員が不安になると思って
言ってくれていたのですが・・
ただ私は
「せっかく社長をやるからには」
と肚が決まってましたので
やりたかった事の実践へ移しました。
まずは
「みんなの会社」
ということを公言したので
大家族主義を実践したいと思っていました。
しかし
ある日「社員は家族」と口では言っておきながら、
社員の誕生日を全く知らないことに気づきました。
そのため強面の古参社員にも
喜んでもらうために品がないですが
現金一万円を渡す事を始めました。
「なんやこれ」
という顔をしていましたが現金はさすがに喜んでいました。
なんとか誕生日をお祝いする文化を作れました。
これには真の目標があり
還暦になった創業から今まで一番お世話になった
親戚社員のお祝いを会社ですることでした。
父も参加しました。
バースディケーキのろうそくが消えるまで父は昔話を・・
主役を奪って主役は苦笑い・・