東京から帰ったら父の仕事をすぐ
手伝うつもりでいましたが、
当時父は50歳代、油が乗り切って元気そのもの。
毎日ぶつかりました。
たまたま「花と緑の博覧会」の
ゴミ収集が組合受注でありそこで働くことにしました。
花博の勤務は1日も休まず、遊びにもいかず、
おかげで東京での借金は完済でき、
もう一度やり直す機会ができました。
また同業者の役員さんの鞄持ちをすることで
ゴミ屋さんの考え方を知ることもできました。
そしてその花博の仕事中にある光景を目にしました。
私の継いだ原点にもなっています。
あるエリートの方がゴミの収集業務をしている
父を蔑んだ目線で偉そうに命令していました。
「おっちゃん何してんねん これもとっとけ」
心の底から腹が立ちました。
「よしそれなら舐められないように自分がエリートになる」
その後、エリートがゴミ屋の社長になり
「働く人に誇りをもてる」と
思えるような会社作りをしたいと思いました。
そしてヨーロッパやアフリカなど一人旅をした後、
外資系の銀行に声をかけてもらいました。
英語もできず銀行業務もできない私でした。
しかも上司も先輩もお客様もエリート。
今まで中小企業で育っていた私の環境とは180度違う環境でした。
あまりのストレスのためヘルペスであわゆく失明になりかけましたが
派遣社員だった私は正社員にさせて頂き、
当初の目標「エリートになる」を
果たし6年勤める事ができました。