去年解散された盛和塾で発表させて頂きました原稿です
自分の生い立ちと弊社の歴史がリンクでき
いい体験になりました
折角の原稿なのでここでできるだけシェアさせて頂きます
昭和46年7月10日に創業65年の弊社の歴史上、最大の事件が起こりました。
私はまだ4歳で幼稚園の夏でした。
私が幼稚園に入園前「隣のお兄ちゃんと同じ幼稚園に行きたい」
と言い出した事がきっかけ、
その幼稚園がサラリーマンでの父の給料では学費が払えず・・
そのためすでに他界した創業者の祖父が他人に名義貸ししていた
一般廃棄物収集運搬業の城東衛生、
父が継ぎたくなかった「ゴミ屋」を始めることになりました。
当時お得意先も少なく、父1人で事業を行っておりました。
その父が運転していたトラックが坂道で急にブレーキがきかなくなり
信号待ちをしていたトラックに激突をしてしまいました。
幸い一命は取りとめられたものの救急病院で気を失い
左足は骨だけ残っている状態でした。
20代の母は4歳の息子の私と取り残された状態で「明日からどうするか?」
を決めないといけない状況になりました。ゴミ回収は休みなし。
待った無しの決断を母は迫られていました。
その時、アルバイトに来ていたお得意様の工場長の息子さんに相談したところ、
「よしわかった」とその日に会社を辞めて、弊社に来る決断をして頂きました。
また同時に20歳の父の甥もその日に一緒に入社していただくことになり、
事故したトラックを引き上げ次の日から同業他社に車を借りて事業が継続されました。
その後父は気をとり戻しましたが結局足をつなぐため一年間入院することになり、
その間お二人で収集作業、集金、新規客開拓までやって頂きました。
その時以来、事あるごとに母は私に従業員に対し「感謝しいや」といいつづけ、
この事が私の今の経営者人生としての考え方の土台となっております。