環境商社

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社長日記

2020.04.02

ジェイポート設立

入社して半年後、工場が完成、
同時に新会社で産業廃棄物を処理する会社、
株式会社ジェイ・ポートの運営を始めました。

ちなみに
J-PORTは私が名付けました。

「J」は喜び(JOY)のJ
と同時に
『城東のJ』から『JAPANのJ』へ
(いっちょまえに野心は強いので・・)

「PORT」は運ぶとか港とかいう意味

喜びを運ぶ
とか
喜びの港

という意味です

創業して一年後
父が脳梗塞になり私が社長に就任。

幸い後遺症もなく2ヶ月で復帰したので会長の父が実質の権限者のまま。
父はお客様の前で「社長やらしてまんねん」と私を紹介、
私も「社長やらされてまんねん」と応酬。

今思えば大人気ない反応でした。

父は私が入った事で肩の荷が降り
「65歳で死ぬ」と言っていたはずでしたが
みるみる元気になっていきました。

が、その分、関係性はもっと悪くなりました。
父は競馬で言うとラストスパート、
私はスタートし始めたばかり。

父は私が入ることで今まで渋られていた
借入金が出来るようになり
工場建設やトラック購入など
新たな投資をどんどんしていきました。

返済しても返済しても
借入金は増えていくばかり。。

父曰く
「茂のためにここまでやっといたらなあかん」

と言う父流の愛情でした。

しかし私は
「私の借金で好きなようなことしやがって」
と思っていました。

会話も少なくなりました。
が、たまに
「茂おるか?」

私が父から呼ばれる時は
銀行の保証人にハンコを押すときのみでした。

また協力会社や銀行の担当者が
打ち合わせに来られても
「会長いますか?」
と、社長の私は素通り・・

知らない間に 新工場の話が進んでおり
決まってから
「こんなんどうや」と・・

「もう無理やで」
というと

「・・・」
父はしょぼんとして
「ぼくも建てるのは最後やし」と・・

かわいそうになってきて
「 わかった ええで」
になってしまいました。

が、自分自身
どんどん勇気がくじかれていきました。

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この記事を書いたスタッフ

樋下 茂

樋下 茂 代表取締役

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