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社長日記

2020.03.26

モロッコ ひとり旅


私の大冒険は湾岸戦争の最中
23歳の時、ヨーロッパへ一人旅で一か月
行った事です。

ヨーロッパ一人旅はよくある話ですが、
その旅行中で急にアフリカのモロッコのマラケッシュへ行きたくなり
ガイドブックを持たず、思いつきでスペインから
モロッコへの船に乗った事が始まりでした。

スペインから乗った船では白人ばかりだったのが
船からおりた瞬間アラブ人だらけ・・
音楽も蛇使いの音楽で、匂いも独特。

ガイドブックを持ってないので
何が何かわからず、いきなりガイドという
白人男性に出会ったのが不幸の始まりでした。

アラブ人は初めて見たの不安が一杯の所に
白人という事でつい安心してしまい・・・

そのガイドに現地人の危険なところを連れまわされ、
挙句のはてに、ジュータン屋へ行って10万円の
ペルシャじゅーたんを購入させられて・・
ギター5万円も・・
(買わないと殺される予感があったので・・)

紹介してもらったホテルは不衛生で水しか出なく
夕食もガイドの言うがまま現地料理を食し
(美味しかったですが)

ホテルに帰ると
人生で最初で最後の初めて体の芯から震えました。

またガイドに
「マラケッシュにいきたい」というと
「電車はストライキだから無理」と言われ

一泊して早朝隙を見つけ逃げました。
(ホテル代は普通でしたが)

すぐ船でスペインへ帰ればいいものを
電車が動いているのを見つけ
そこで電車に乗って内地のマラケッシュへ旅立ちました。

今度は電車に乗っていると
新聞を読んで湾岸戦争の話をしていた
モロッコ軍のアーミー達が僕を見て

「何故日本はアメリカへお金をだすのだ!」

と詰め寄ってきました。
(アラビア語で何を言っているのかわかりませんが)

その日は日本が何十億ドルというお金を
アメリカに援助した日で
新聞にでかでかと書いているようでした。

僕が見るにモロッコ軍の人達は当時日本では
大悪党といわれていた
「サダムフセイン」
を尊敬していました。

文化の違いや日本から見る報道とギャップの大きさに出会いました。

そこで助けてくれる軍人が・・

その人と仲良くなり、
その人の家はマラケッシュとの事で
家に泊めていただくことになりました。
(ゲイやったらどうしょうと思いながら・・・)

モロッコ人の家に泊まるチャンスはめったにないと
思ってチャレンジしました。

その家に一週間宿泊させて頂き、
本当におもてなしをしてくださりました。
(無事でした)

民家で決して大きな家ではないのですが、
クスクスやミントティなど現地の家庭食や文化を堪能でき、
また観光もご一緒してくださり
楽しい時間を過ごすことができました。

ドリーファンクジュニアに似ていた
モロッコ人に本当に感謝です。

しかし今度はスペインへ帰るフェリーで
別の白人の酔っ払いに絡まれ、
また体の芯から怖くなりました。

本当に思い出しただけども怖い顔です。
最初はいい人だったのですが・・・

やっとフェリー船でスペインに着き、
酔っ払いから逃げるように
バスに乗りバルセロナまで
早朝とうちゃく
ほっと一息、
今度は、二人組の男に
鞄をひったられました。

コンタクトレンズが入ってる鞄なので大変困るし、
なんかもう疲れて
訳がわからなくなっていて、
怖いものがなくなり
そのひったくりの一人に体当たりし,
レスリングもしていたので思い切り投げ飛ばしました。

ひったくり二人組は私にあやまり
鞄を離し逃げていきました。

その後はフランスで1人スキーをやったり楽しく過ごせましたが、、

たった一ヶ月の冒険でしたが、
この事で人生怖いものがなくったように思えます。

まずは言葉が通じない、常識や文化が違うのが一番怖いです。


自分で読んで感じた事は

この旅行時は23歳
そして倍以上の年月がたって今53歳

ちょっと固まっている?
このままで人生いいのかな?

改めて「失敗が自信の糧」だと思い
また少しだけ
新たな冒険をしたいような気持ちになりました。

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この記事を書いたスタッフ

樋下 茂

樋下 茂 代表取締役

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